「北のエル・ドラド」の栄枯盛衰
近代日本のゴールドラッシュといえば北海道北部の紋別「鴻之舞金山」が有名です。
紋別は今や流氷の人気観光スポットですが、かつては「北のエル・ドラド」と呼ばれた、栄華を極めた町なのです。
明治30年代頃に砂金が発見され、一獲千金を夢見た人々がこの町に押し寄せ、一時期は12,000人以上の人口となりました。
1915年、金鉱脈の発見を機に住友財閥が鉱山ごと買収、大規模な設備投資と開発が進みました。
昭和30年頃になると人々の生活は電気釜、テレビの普及率が全戸数の80%以上となり都会顔負けの暮らしっぷりだったそうです。
しかし採掘が進むにつれ、資源の枯渇と事業の不採算化によって1973年に閉山となってしまいます。
鴻之舞金山は今や廃墟と化し、訪れる人はほとんどいません。
金山採掘はわずかに58年間。
それでもその期間の産金量は72t、佐渡388年78tと比べても圧倒的で「東洋一の金山」と呼ばれるだけのものだったのです。
北のエル・ドラド、栄枯盛衰の物語でした。
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