モチーフとなった「黄金の建物」の正体とは?
『黄金の国ジパング』
13世紀、マルコ・ポーロの『東方見聞録』で紹介された日本です。
しかし実際にはマルコ・ポーロは日本に訪れた事は無く、中国で聞いた日本の噂をモチーフにしたと言われています。
その噂の原点が平泉の「中尊寺金色堂」という説があります。
平安時代後半、東北地方で都と方を並べるような高度な文化を築いたのは奥州藤原氏。
約100年の間、豊富に産出された金が藤原氏の繁栄を支えてきました。
東北地方は金の産地であり、その金から東大寺の大仏や外国との貿易決済にも使われていました。
朝廷からの搾取から逃れた藤原氏は、その莫大な金で壮麗な大寺院、中尊寺を20年におよび建造したのです。
東方見聞録で日本は「中国の東の海上1500マイルに浮かぶ独立した島国で、莫大な金を産出し、宮殿や民家は黄金でできているなど、財宝に溢れている。」と紹介されています。
「黄金の国ジパング」はデマだ、とも言われていますが、こうして見ると日本の歴史と一致しています。
まだ見ぬ日本への憧れが、煌びやかなイメージを増幅したのかもしれませんね。

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