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金入門㊸ 明智光秀と金の行方

江戸を暗躍した天海僧正とは?


『天海』

安土桃山時代から江戸時代初期にかけての天台宗の大僧正で徳川家康の側近として、江戸幕府初期の朝廷政策・宗教政策に深く関与した人物です。


家慶は幕府を開くにあたり、天海の助言を参考にしながら、江戸の地を選んだと言われています。


実はこの天海こそが明智光秀なのではないか、という説があります。


本能寺の変で主君を討ち滅ぼした明智光秀はその11日後、山崎の合戦で豊臣秀吉に打ち倒されてしまいます。


時を同じくして光秀の近江坂本城には信長の数十万両の軍資金と金銀財宝が送られてきました。


その後、これらの軍資金は明智の残党が琵琶湖に投げ込んだ、とされる説があります。


そしてその埋蔵金の一部は光秀没の34年後に掘り出され、明智一族のために使われた、という古文書があるのです。


掘り起こしたの人物こそ「天海」で、光秀は山崎の合戦で死なず、家康の庇護を受け出家、埋蔵金の一部を家康に寄贈したのだとも言われているのです。


また年齢的に両者が同一人物であるのは無理がある、という見解もありますが天海は100歳以上生きた長命、光秀は詳しい出生年が定かでは無い事から、遠からず考える事は出来ると思います。


光秀と金に関する歴史ミステリーのお話でした。




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